1927年9月27日の午後2時から、内村鑑三は母校北海道大学の中央講堂において「Boys Be Ambitious!」と題する講演をします。講演には約2,000余り名の聴衆が集まったと記述されています。当時は、中央講堂では講演会の他に音楽会、演劇などが上演されていました。現在は中央講堂をありません。
中央講堂の前には、今も古河記念講堂と呼ばれる登録有形文化財が建っています。全体的にフランス・ルネサンス風にまとめられており、建物の各部に華麗な意匠が見られます。白亜の建物です。古河講堂は、古河家寄付記念事業によって建てられた教室です。足尾銅山で利益を上げていた古河財閥が足尾鉱山鉱毒事件の償いの意味を含めて寄贈したといわれます。

私が1961年に北海道大学に入学したとき、古河講堂は教養部の本部となっていて、学生部の他に授業でも使われていました。古河講堂の前は広々とした中央ローンが広がり、ウイリアム・クラークの胸像が建っています。古河講堂の玄関前には、大きな掲示板があって、休講の知らせが貼りだされ学生はその知らせを待っていたものです。休講がしばしばありましたが、学生はなんの不満もいだかなかったのんびりした頃です。今思えば休講を期待するなど、少々不甲斐なさを感じます。
内村の中央講堂での講演は、札幌農学校の一期生であった佐藤昌介総長の紹介で始まります。佐藤は1886年にジョンズ・ホプキンス大学(Johns Hopkins University)で農学のPh.D.を取得し、やがて事実上の単科大学であった札幌農学校を帝国大学へと昇格させるために尽力した人物です。その後北海道帝国大学の初代総長となり、「北海道大学育ての親」と呼ばれています。
この講演当時、内村のご子息内村祐之氏は北大医学部教授として精神医学教室を創設していました。講演内容にそのことが記されています。講演は、佐藤総長の招待だったのかどうかの記述はありませんが、内村は子息と家族との再会も楽しんだことが推測されます。
中央講堂での講演内容は多岐にわたり、特に「Boys Be Ambitious!」の講解は興味ある内容です。それは、この言葉はウイリアム・クラークの独作ではなく、当時マサチューセッツ州に広がっていた清教徒主義(ピューリタニズム)の精神として広く知られていたというのです。「 Ambitious!」とは「大志」というよりも「大望」がふさわしいと語ります。そして、「Boys」とは20歳以下の青年を指すのみにならず、「men」「gentlemen」「old men」であってもなんら不思議でないというのです。つまり「アンビションを抱く者」、「前途の希望に邁進する者」であり、自分自身もまだアンビションを持っているから「Boys」であると宣言するのです。この講演の内容は内村鑑三信仰著作全集の20巻に収録されています。